和田誠

和田 誠 Makoto Wada(b.1936、日本)

履歴:
大阪府生まれのイラストレーター、エッセイスト、映画監督。
父は築地小劇場の創立者の一人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。この父がJOBK(現在のNHK大阪放送局)に勤務していた時期、大阪市に生まれる[1]。父の失職の後、1945年3月に一家で大阪を引き上げて東京都世田谷区代田に転居。しかし誠のみ千葉県に疎開し、ここで敗戦を迎える。戦後に東京へ戻り、世田谷区立代沢小学校3年次に転入。東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現デザイン)科卒業。1959年に広告制作プロダクション、ライトパブリシティに入社。同社を退社した1968年より、フリーのデザイナー、イラストレーターとして活躍する。
グラフィックデザイナーとしての代表作は、あまりにも有名なのが、たばこ「ハイライト」のパッケージデザイン。ほかに、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルなども広く知られる。イラストレーターとしては、「週刊文春」の表紙や、星新一著作の挿絵を多数手がける。書籍のブックデザイン(装丁)の仕事も数多い。たとえば、星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹『アフターダーク』など。本のバーコードは通常、裏表紙のカバーに直接印刷されるが、和田はこれを嫌う。そのため、彼が装丁を手がける本の裏表紙カバーにはISBNの数字のみが表示される。その際バーコードは帯に印刷されることが多い。
以上のグラフィックデザイン、イラストレーション、ブックデザインのほか、作詞・作曲、パロディ小説の執筆、翻訳など、幅広い分野で活動。
さらに、映画ファンとしても有名で、「お楽しみはこれからだ」をはじめとする映画に関わるエッセイ集がある。また、小泉今日子主演の『怪盗ルビィ』など、映画監督としての評価も高い。異業種有名人が監督をてがけて第1作、第2作を連続でキネマ旬報ベストテン入りさせたのは後にも先にも和田独りである。これらの作品が発表された頃は、実力の伴わない異業種監督がもてはやされた時期だっただけに格の違いを見せつけた。アニメーション作家としての仕事もある。1960年に久里洋二・柳原良平・真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成して草月ホールで定期的に上映会を行っていた際、和田も横尾忠則や手塚治虫らとともに参加し、個人で制作したアニメーション作品を発表した。
妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。ロックバンドTRICERATOPSの和田唱は長男。伯父に、「日劇」のレビューの演出家だった、山本紫朗。

フィルモグラフィー:
1964  殺人 MURDER(制作・監督・作画)
1970 パンパの活躍(美術・アニメーション)

長編映画:
1984 麻雀放浪記(監督)
1988 快盗ルビイ( 監督・脚本 「快盗ルビイ」の作詞)
1988 怪盗ジゴマ 音楽篇(製作・監督・作曲) 製作・監督・作曲
1994 怖がる人々(監督・脚本)
1997 しずかなあやしい午後に(第一話 ガクの絵本、監督・脚本)
1999 真夜中まで( 監督・脚本)
2001 みんなのいえ(出演)

  • 最終更新:2009-05-23 15:57:29

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